今日もいいことありそう♪♪♪

電撃結婚した私の、異国(ココ)の地に根を張るぞ!第2章。
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キロク・・・手術1日目(前)

18週1日、アメリカで人口流産した記録です。
気分を害する恐れのある方は、ご遠慮ください。


ツワリは峠こそ越えていたものの、
何が辛かったかといえば、予約時間の6時間前からは
飲み食いは禁止だったこと。

水すら飲めなくて、それが辛かった。
まだ体は妊婦だし、食欲は収まってはきていても
まだ異常に物が食べたかった時期でしたので。


予約時間は2時だったので、それに合わせて
プリンちゃんを友人宅へ連れて行く。


ソーダ君が休みだったので、病院まで一緒に行ってくれた。
これは本当に心強かった。


決めてはいた。
腹も据わっていた。
もう後ろには戻れないことも承知だった。

けれど、やはり心の振り子は揺れていたし
怖さもあった。


病院は、病院というよりはクリニックといった感じの
こじんまりと、ひっそりとしていた。


待合室は、人でごったがえしていた。
こんなに混んだ待合室をアメリカの病院で見たことがない。
そして、こんなにどよーーーんと暗く沈んだ(ように感じる)
待合室は初めてで、こちらの呼吸が重くなるほどだった。


受付を済ませて落ち着くと、ほとんどの人達が皆
カップルで来ているらしいこと、そしてどうも患者?全員が
私と同じ手術のために来ているような感じがした。

一組、もしかしたら同年代か?というカップルがいて
女の人がもう絶望を絵に描いたような雰囲気で
一層痛々しい感じがした。

その他の人達は、10代後半、20代前半といった感じ。


受付の人から渡された問診、その他の紙は10ページほどあり
ソーダ君がいなかったら、恐らく延々書かなくてはならなかったかも。
医療用語なんてよくわからないから、人に聞き聞きだから
どうしても遅くなるからね。

40分ほどかかって記入した。

予約時間を1時間ほど過ぎても名前は呼ばれず
結局3時間ほど待った。


待ち時間の間に一度呼ばれ、先生と直接話しが出来た。


このクリニックの作りなのか、方針なのか
受付を過ぎるドアには鍵がかかっていて
そこは男子禁制な感じだった。

付き添いで来た男の人達は、全員待合室にいて
中に入る人はいないように見えた。


先生と話す時は、ソーダ君も中に入れますよ、と言われ
一緒に中に入った。


一歩中に入ると、そこにはエステサロンのような空気が広がっていて
壁もラベンダー色だし、医療器具をのぞけば、プチホテルのような感じ。

リカバリー室をチラッと見たけど、あそこにお湯が用意されていたら
完全にリフレクソロジーの個室だと思った。



先生は。。。。

ちょっと意外な人だった。私は、お医者で初めて会うタイプだった。

話しているうちに、あることから
この先生が人より何倍も努力した人だということが肌でわかった。
もうそれだけで、私はこの先生を信頼出来た。


先生に、手術の流れを再度確認する。

第一子の時、子宮口が開かなかったことをまた聞いたけど
答えは一緒で、大丈夫、とのことだった。

手術1日目、2日目とも全身麻酔をするので
全くわからないうちに事が終わっていること。

ベッドから自分で起き上がって、自分で歩いて
リカバリー室に行けること。(意外でした)

麻酔が覚めない場合があるのか?(ない、です)


子供自身に痛みは?と聞くと、先生が

「あぁ、これを言ってませんでしたね。
 薬を入れた時点で子供の心臓が止まります」


もう何度も泣いて、涙は枯れたと思っていた。
その私の目が、この言葉を聞いた瞬間に
ガッと一気に熱くなった。

受精してから一度も後ろにふり返らず
この腹の子はひたすら前だけを見て過ごしてきた。
心臓が出来てからは、ただひたすらその心拍を打ち続けてきたことだろう。
そして、その心臓の音を、私はつい3日前に聞いている。


産科の先生が、
「これが赤ちゃんの心音ょ。あなたのより1.5倍くらい早いでしょ」
そう言って聞かせてくれたんだった。


それが今日止まる。
止まるんじゃない。止める、んだ。



私の質問が続く。先生が続ける。

「お風呂は入れますか?」
「シャワーはOK。でもお風呂(入浴?)は2週間禁止ね。
 入浴だけじゃなく、プールもダメ。
 とにかく子宮には2週間何も入れないで。タンポンもダメ」


「えっちはいつからしても大丈夫ですか?」
「2週間はあけて下さい。次の妊娠は、3ヶ月経ってから」


「18週(日本式妊娠5ヶ月)で手術は遅くないですか?」
「22週まで大丈夫です。あなたはまだ1ヶ月あるから
 大丈夫ですよ」


手術後、再び体を診せに来た方がいいのか?に関しては
「来たかったら1週間後に。必要がない場合は、これでおしまいです」



先生が、「これは任意なんですが・・・」と言い始めた。

○○州の大学(だか病院)で、ダウン症早期発見(だか?)
の研究をしていて、私のケースも提供してもらえるだろうか?
と言ったものだった。


この話をするちょっと前に、完全麻酔で手術が終わる、
というくだりの時先生が、

「ここでも15-6年前は、鎮痛剤だけで手術してたんですよ
 みんな痛みに耐えてたけどね」
「医学の進歩ですね」と私。



実は、私の母親も妊娠4ヶ月の時に同じ手術を受けている。
その時は、妊娠と盲腸が同時に起こり、盲腸の手術を受け
それ自体は大丈夫だったが、その後、やはり妊娠がもたず
急きょ、手術になったそうだ。
男の子だった。


母も痛みに耐えた時代だ。
そんな時代がずっとあったのだ。


私のこの妊娠が、将来の医学の進歩につながり
将来の誰かの役に立つかもしれない。
この腹の子の無念が、少しでもやわらいぐことを祈って
情報提供に協力すると告げた。


どんどん使って、頭の良い人達に本当に頑張ってもらって
こんな思いをする人達を救って欲しい。


私の今日の完全麻酔の手術も、過去の大勢の人達の
涙と我慢と、、、、のお陰で在るんだ。
本当にありがたいことだと思った。


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